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NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室

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なかはら

中原淳(東京大学)のブログです。教育工学 / 企業人材育成 / 組織学習 / 学習する組織 / 協調学習 / 知識創造 /ワークプレイスラーニングなどが研究のキーワードです。

たまに「子育て」に関しても、書いています。

怒ること考

2009/06/24 10:00:32
 怒ることは、体力と気力のいることである。  先日、TAKUZOとカミサンで、お好み屋さんに出かけた。TAKUZOは食べているときは落ち着いていた。しかし、自分が食べ終わったとたん、「ウ○コ、ウ○コ」と大きな声で放送禁止用語を連発し、さらには、足をバタバタして駄々をこねるので、大変困惑した。  その場で注意しても、聞くわきゃない(泣)。駄々をこね続けるので、さすがに参った。  他のお客さんも、困惑している様子だったので、足早に店を出て、おうちに帰る。  ▼  自宅の玄関に入ったところで、大きな声で怒った。  1)レストランでは大きな声をだしてはいけないこと、2)自分が食べ終わったあとでも、ママが食べているのだから、少しおとなしくしていてほしいこと、を伝えた。  TAKUZOは、鼻水をたらして泣いていたけれど、「ここは、やむをえない、ちゃんと言うべきときだ」と思って、叱った。  TAKUZOは、泣いてママに助けを求めていた。いつだって、パパは「悪役」である。  フー。   ▼  かつて自分が子どもだった頃には全く気づかなかったけれど、「怒るためには、体力と気力を必要とする」。  本当のことをいうと、仕事に疲れて帰ってきてまで、僕は「怒りたい」とは思わない。  仕事では、心に「起伏」があるし、「ストレス」だってないわけではない(いつもヘラヘラしているように見えることとは思いますが・・・笑)。  だから、せめて、家庭では、心を平静に、そして静かな時を過ごしたいと願う。    しかし、僕とカミサンの夫婦2人での暮らしなら、それも可能だろうけれど、子どもとともに過ごすということは、そうはいくかのタメゴローである(死語)。 「言うべきとき」には、たとえ体力と気力をふり絞ってでも、親として「正しいと思っていること」を言わなければならない。  一切の躊躇なく、僕は言う。  それが本人のためでもあるし、ひいては、家族のためでもあるし、僕たち親のためであると思うからだ。   ▼  子育てをしていると、ふっと、自分の昔を思い出すときがある。  かつて僕を叱ってくれた多くの人々は、どんな思いで、僕を叱ったのだろうか。そんなことを、ふと、考えてみる。  セピア色に色褪せた想い出をたぐりよせてみても、そのときの人々の感情までは、僕は類推できない。  しかし、おそらく、僕と同じような感情を持ちつつ怒っていた人も、いるのではないかな、と思う。 「怒ること」の反対語は「褒める」ではない。 「無関心」である。  親になって、このことを実感する。

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